八幡宮(岡山市土田地区) 

今 訪れる人の数より 落ち葉の方が多い八幡宮
岡山県下には神社が五千余社あり、そのうち無格社は四千社弱あるといわれます。土田地区の山ふところにあり、集落の鎮守として祭られ、氏子が守り続けた小さなお宮「八幡宮」も無格社です。この「八幡宮」の今に伝わる歴史を求めて、歴史書をひも解き、地区の古老の方々にお話を聞きました。数百年の歴史に流されながらも、氏子が守り継いできた「氏子と八幡宮のつながり」は古の人々のロマンと五穀豊穣への祈りの歴史でもあるようでした。

 八幡宮の概要
土田村の西分〔にしぶん〕と東分〔ひがしぶん〕の境にある小字中庄司〔なかしょうじ〕を北へ登ると、凝灰岩でできた石垣が道の両側に残されている。そこからさらに急な坂を昇ると石段の先に「八幡宮」の鳥居がある。なお、本殿は山肌に抱かれている。
土田八幡宮        
鎮 座 地 岡山市土田八幡
祭神 応神天皇
由緒 勧請年月不詳の神祠
※明治10(1877)年12月6日存知願許可
社格 無格社
境内 拝殿、幣殿、本殿
末社、稲荷神社
例祭 10月15日氏参り
10月16、17日御祭
土田村には城主不詳の古城跡があると『備陽国誌』に記されている。『東備郡村誌』では、中世、山陽道がこの村を通っていた頃、東西百間、南北百三十間の「十郎殿の陣」があったと記してある。寿永2(1183)年備前守に補任された源十郎行家の城址ではあるまいかと、『岡山地名事典』では推定している。
「八幡宮」は十郎殿を祀った族神の社に歓請されて、鎮守八幡宮になったのではないかと、土田在住の市川重明氏は考えている。

 八幡宮に奉納されている絵馬                        
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新羅退治図 義家観雁図
新羅退治図
・画工慎吾 天保八(1837)年丁酉年六月吉辰日

※「新羅退治」について
『日本書紀』によると、仲哀〔ちゅうあい〕天皇2年、神功皇后〔じんぐうこうごう〕が如意宝珠〔にょいほうじゅ〕により敵を退治したという故事。
義家観雁〔かんがん〕
・藍田 画並書 甲午 秋(1834)年

※「義家観雁」について
平安時代、奥州で「後三年の役」の際、陸奥守〔むつのかみ〕源義家(八幡太郎)は、雁が群れを乱すのをみて敵の伏兵を知り勝利したという故事。
 八幡宮境内の風景
拝殿
梁行は、壱間参尺(2.1m)で、桁行は、壱間(1.8m)である。
鳥居は、「文政九丙戌年」の建立と刻まれている。
石狛犬
台座は、自然石
石狛犬
台座は、自然石
石灯籠
台風で倒木が灯籠を倒し、放置され、また、灯籠部分が喪失していた。平成17(2005)年据えつけなおした。
本殿
梁行は、弐尺(0.6m)で、桁行は、弐尺(0.6m)である。
石段
境内の坪数は、「無格社八幡宮明細帳寫」によると「百坪民有地第壱種本村人民共有」とある。
古文書
「無格社八幡宮明細帳寫」によると明治42(1909)年では、「信徒百拾人縣庁距離弐里拾八丁」とある。
手水鉢 土俵跡
かつてこども相撲が奉納されていた場所で、「こども相撲」は、戦後2、3年までは行われていたらしい。遥拝石も見える。

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〔岡山県立図書館メディア工房:平成19(2007)年〕
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