大正15年5月 岡山市写真帖
日清製粉会社工場・鐘淵紡績絹糸工場鐘淵紡績岡山工場
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◆説明 「日清製粉会社工場」
明治末期以後、パン製造業者は小麦粉を神戸の増田製粉から購入していた。
中国地方では下関以外には大製粉工場はなかったので、増田製粉は岡山において固い地盤を持っていた。
日清製粉岡山工場が設立されたのは大正9(1920)年である。岡山県は兵庫県・香川県と並んで品質の優れた小麦生産県であったが、当初は増田製粉の「笠印小麦粉」が好評で、市場の開拓は困難を極めた。
そこで日清製粉は良質な「曲馬印小麦粉」の生産に成功したため、結果、数年で岡山県のみならず広島・島根・鳥取まで移出するようになった。

「鐘淵紡績絹糸工場」
明治30(1897)年、共立絹糸は上道郡三櫂村門田(現、岡山市門田本町)にて業務を開始した。
明治35(1902)年、共立絹糸を中心に第一絹糸紡績、日本絹糸紡績など6社で絹糸紡績を設立した。このとき、共立絹糸の社長香川真一は絹糸紡績の副社長に就任した。
明治40(1907)年、絹糸紡績は岡山紡績、備前紡績、南海紡績(和歌山県)の3社を合併したが、同44(1911)年には鐘淵紡績に合併された。門田の工場は鐘淵紡績絹糸工場となった。
昭和20(1945)年9月で工場閉鎖となる。

「鐘淵紡績岡山工場」
明治14(1881)年7月、岡山区花畑(現、岡山市さくら住座)に岡山県最初の岡山紡績所が開業した。
岡山紡績所は明治17(1884)年に岡山紡績会社と組織替え、同32(1889)年には西大寺紡績を合併した。
明治40(1907)年には絹糸紡績に合併され、同44(1911)年に絹糸紡績が鐘淵紡績に合併されるにともない、鐘淵紡績岡山工場となった。
昭和17(1942)年ころまでは綿糸生産を行っていたが、以降は麻毛生産に切り替えている。
昭和20(1945)年10月で工場閉鎖となる。

◆参考文献 「日清製粉会社工場」について
『日清製粉株式会社史』 日清製粉株式会社社史編纂委員会/編 1955
『岡山市史 産業経済編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1966
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989

「鐘淵紡績絹糸工場」について
『岡山市史 産業経済編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1966
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989
『鐘紡百年史』 鐘紡 1988

「鐘淵紡績岡山工場」について
『岡山市史 産業経済編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1966
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989
『鐘紡百年史』 鐘紡 1988

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 〔岡山県立図書館メディア工房〕
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