第17回 岡山国体
1. 10月21日−26日(開会式・競技)

    

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(ご参考)本映像には、音声はありません。
◆映像解説
■天皇行幸
 天皇・皇后両陛下の岡山県への行幸は戦後3回目で、10月20日〜25日の5泊6日の日程で来岡された。
 来岡中は国体開会式をはじめ、県内各地の国体会場を見学された他、旭川荘や水島工業地帯などを見学されている。今回の映像は10月21日の国体開会式当日午後の記録であり、昼食場所の後楽園延養亭から国体会場に向かう場面である。場所は石関町から旧岡山東警察署周辺である。
■炬火リレー
 昭和37(1963)年10月20日に、鴨方町(現:浅口市)の岡山天体物理観測所で、太陽光線から採火を行い、リレーにより、同日中に岡山市役所に移動した。
 映像には、10月21日の炬火リレーの様子が写っており、途中の柳川十字路(柳川ロータリーとも呼ばれる)を経由して、61キロに渡るリレーを終えて、14時27分に陸上競技場入口に到着した。
■(秋季大会)開会式
 昭和37(1962)年10月21日、7時30分の開門と同時に、国体道路(国道53号線総合グラウンド付近のこと)いっぱいの人並みが県営陸上競技場のスタンドに集まっていった(約4万人が参加した)。
 正午、煙火が響く中、小学生2,400人の「鼓笛バンドパレード」、中学生1,200人の「岡山のかおり」、高校生1,800人の「輝く希望」の公開演技が繰り広げられた。
 さらに、13時過ぎに、県内の中学、高校、社会人により編成した822人のブラスバンドが入場し、続いて、県立操山高校生徒2人の標旗が、山陽女子高校生徒40人の鼓隊とともに入場した。
 その後、13時30分のファンファーレにより、いよいよ国体の開幕となった。
 引き続き、役員選手の入場行進、三木知事(当時)による開会宣言、炬火入場、国旗・大会旗の掲揚、風船あげが行われた。
 15時1分には、閉式が通告されたが、引き続き、小学生2,200人による「桃太郎」、岡山市連合婦人会の「岡山民踊」、就実中学校生徒の「スクールバンドパレード」が行われ、 16時12分に終了した。
■(秋季大会)閉会式・総合成績(参考)
 昭和37(1962)年10月26日、3万人余りが参加して行われた。
 13時48分岡山県立短期大学生80人の「棒のリズム」幼稚園児1,566人による「むすんでひらいて」等公開演技で幕を開け、選手団入場、成績発表、閉会宣言に続き、16時13分に次の開催県である山口県の旗が掲げられ、幕を閉じた。
 なお、成績については、天皇杯、皇后杯ともに、第2位と健闘した(第1位は、東京都)。特に、皇后杯については、第1位の東京都との差が、わずか0.75点であり、当時の記録には、満員のスタンドからため息がもれたとある。
■テニス競技
テニス競技は、10月22日から25日にわたり、24都道府県が参加して行われた。
  成績は、
優勝 岡山県勢の成績
一般男子 愛知県 準々決勝で大阪府に敗退
一般女子 東京都 準決勝で東京都に敗退
高校男子 兵庫県 準々決勝で埼玉県に敗退
高校女子 愛知県 準決勝で大阪府に敗退
 であった。
ちなみに当時は、庭球と呼んでおり、競技日程や報告書も「庭球」で表記されている。ただ、競技日程の後半に広告ページがあるのだが、その中には、テニスという表示が見られ興味深い。

※県営陸上競技場については、「2. 10月24日」の解説を参照のこと。

◆参考文献
「第17回国民体育大会 庭球」 日本体育協会ほか/〔編〕 (1962年)
「第17回国民体育大会 軟式庭球」 日本体育協会ほか/〔編〕 (1962年)
「第17回国民体育大会 報告書」 岡山県実行委員会 (1963年)
「警衛画報」 岡山県警察本部 (1963年)
「第十七回国民体育大会報告書」 第17回国民体育大会岡山県実行委員会 (1963年)
晴れの国おかやま国体ホームページ(http://www.pref.okayama.jp/kokutai/
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 〔岡山県立図書館〕
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