観音堂菩薩像

聖観音菩薩立像とその周辺
観音さん、観音様と親しみをこめてよばれる聖観音菩薩は、御釈迦様のように悟りを求めて修行しながら、人々を救ってくれる菩薩である。優美な姿が多いのはインドの神が仏教に採り入れられてできた菩薩だからではないかといわれる。奈良時代の終わりに密教が伝わり観音菩薩が聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、不空羂索(ふくうけんじゃく)観音、馬頭観音、准胝(じゅんてい)観音など、大きな慈悲で衆生(しゅじょう)を救う菩薩とあおがれ民衆の間に広まった。江戸時代には西国三十三ヵ所巡礼など観音信仰は国民各層のあいだに拡がった。

土田村の観音菩薩は、東に観音扉を持つ2メートル四方のモルタル壁でおおわれた瓦葺のお堂に祀られている。観音菩薩像と堂内やその周辺を紹介する。
観音堂 聖観音菩薩立像と脇仏
観音堂  堂内に昔の礎石を残している 聖観音菩薩立像と脇仏
この本尊が寛文六年に福泉寺で祀られていた観音菩薩立像かどうか不明だが小仏像は移動しやすく、個人が礼拝していた念持仏だったことも考えられる。
この菩薩は古色に金泥彩で補修されている。このことはそれ以前に金泥彩があった可能性がある。素地(きじ)に 截金文様(きりかねもんよう)を貼り付けた仏像は、中世の終わりごろ(15世紀または16世紀)の仏像に多い。
岡山県立美術館中田学芸員談

金風文様のある聖観音菩薩立像と厨子
聖観音菩薩立像 厨子
 木造
像高 40cm
巾34cm奥行23cm高さ84cm
屋根37cm×24cm

聖観音菩薩は、宝冠をもち頭上に阿弥陀如来の化身である化仏(けぶつ)をもつのが特徴とされる。光背(こうはい)、側頭部、宝冠、台座は明治以降に修復されたものと思われるので化仏があるかどうか現状では見えにくい。

この菩薩像には截金風文様が金泥彩で描かれている
截金文様とは、7世紀半ばに中国から日本に伝えられた技法。金銀などの箔を線や三角四角などの形に細かく切って、にかわで貼り付ける。七宝繋文(しっぽうつなぎもん)、立枠文(たてわくもん)、格子文などや唐草文、団花文などの曲線を主体とする複雑な文様や流水を表す文様などさまざまに表現された華麗な仏像が造られている。

聖観音菩薩  画像のページへ
光背  側頭部 宝冠 台座 装身具 文様
光背
側頭部 宝冠 台座 装身具 文様

観音堂内とその周辺
本尊を両脇仏が護る
吉祥天 善膩師童子
吉祥天(きっしょうてん) 善膩師童子(ぜんにしどうじ)
インド神話などの神々が仏教に取り入れられ仏教の守護神になった「天」の天女形をした仏像。女性形の像はすべて天部に属している。 毘沙門天(びしゃもんてん)の妃とされ、美人の代名詞。右手は与願印(よがんいん)を示し、左手は如意宝珠を持つ。唐時代の貴婦人のような服を着ている。美と福の神として信仰されている。 毘沙門天と吉祥天の間の五太子(童子)の末子。
衆生を救おうと誓いを立て、信者の祈願を毘沙門天に取り次ぐ役目をする。童子形でお経の箱である宝筐(ほうきょう)を捧げ持つ。
「奉造立観音堂壹宇當村繁榮祈所」を記す三枚一組の建立札
建立札 『上札の表』 元禄五年 土田村施主満藤茂大夫
「梵字 奉造立観音堂壹宇當村繁榮祈所」
九月十八日 本願丹上傳○○衛門
『上札の裏』 大導師 山本院清算

『中札』 元禄五年 土田村
「奉造立観音堂壹宇當村繁榮祈所」 
九月十八日 本願大森五兵衛

『下札』 元禄五年 邑久郡小津村
「奉造立観音堂壹宇當村繁榮祈所」
九月十八日 藤原朝臣大工松尾六兵衛
『上札の表』の拡大図と梵字(ぼんじ)
上札の表 梵字梵字は「十一面観音菩薩」を表すもの。
(お寺の住職の話)
福泉寺の本尊は観音菩薩であったことは「寛文六年亡所仕古寺書上帳」からわかる。
元禄五年に観音堂を造立した時、本尊は「十一面観音菩薩」だったのではないか。現在の観音菩薩は聖観音菩薩立像である。
本堂の中に百萬返数珠箱がある
百萬返数珠 数珠箱蓋
数珠箱蓋
多くの僧や信徒が集まって一つの大きな数珠をくりまわしながらみなで弥陀の名号を 百万回唱える法会(ほうえ)に用いられる。珠の直径は4cm。「村のものか寺のもので、個人の持ち物ではなかったと思われる」と聞く。
観音堂周辺の建立物
石造物 石段右脇
明和の経塔(左)と文政の弘法大師像浮彫(うきぼり)を持つ念仏碑(右)
観音堂の敷地北西角に立つ
階段脇石に 「御堂 施主 満藤 常二(次?)兵衛」と記す
棟札
棟札 明治二年 本願大西六代満藤清次郎為施

奉修覆観音堂天下泰平国家安全村中子孫繁榮

名主 亥久二 同 喜平次 五人組頭 
籐兵衛 同 駒次郎 世話方諸引請 向 
多十郎 同 鶴之介 本村 綱八 世話人 
本村 丘蔵 向 彌七 同 猪之助 本村 
春吉 山端 多次郎 同 山端 豊吉 同 
虎吉 同 六右衛門 奥矢津 多喜次

己巳九月吉辰 棟梁当村長尾輕造藤原長正 
塩飽本島之内尻濱 長尾豊吉 當村奥矢津
弟子 石原岩松 木挽當所 藤田吟之助 
同 奥矢津 梅次郎 
同 向 熊吉 同 兵吉 
昭和8年観音堂改築寄附者芳名書
昭和8年観音堂改築寄附者芳名書 昭和8年観音堂改築寄附者芳名書
昭和45年観音堂新築 寄附者芳名書
昭和45年観音堂新築寄附者芳名書 世話人 土田町内会長 藤田純善
総代12名 寺総代3名
工事施工者 藤田材木店藤田光夫
岩間山最明寺僧侶 里見増玉
観音堂周辺にあるもの
石花入 石碑 石花入
石花入「奉献」
「當主○○音五郎」
金百五十圓 光藤岸次郎(南面)
昭和十四年九月(北面)
石花入「奉献」
「山代屋豊吉」
地蔵菩薩 地蔵堂 弘法大師 大師堂
地蔵菩薩 地蔵堂 弘法大師 大師堂

戻る