兵庫一件始末書上

【解読文頁八 補注】

[一]「瀧善三郎の言葉」:瀧善三郎が、切腹に臨んでの言葉は日本側の記述と外国側の記述で異なる。瀧善三郎の言葉三角マーク

[人物]
篠岡八助:日置家表小姓。後、第二代金川村長。退職後『瀧善三郎自裁之記』を著す。(『金川町史』、頁三二七、二四八―二四九。『神戸事件と滝善三郎編 御津町史料第四集』、頁二)
宮崎慎之輔:日置家中小姓。  ●角田勝吉:日置家表小姓。

※日置家家臣の役職は「慶応四年秋(幕末侍帳)」(『金川町史』、頁三二五―三三一)による。事件後のものなので目安である。

[事物と地名]
宇内之公法:神戸事件関係の文書では「宇内の公法を以て、処断する」という表現が使われる。宇内とは、「天下」「世界」のことである。「宇」は天空が地上を覆うの意。(『国語大辞典』、頁二三一)。「万国公法」という言葉は、慶応から明治にかけて二つの意味で使われる。一つはアメリカ人ホイートンが著した[Elements of International Law]の中国語翻訳書の書名として、もう一つは法体系としての「国際法」の意味である。
 その特殊な受容の状況を『国際関係法辞典 第二版』では、「幕末から明治初期のわが国にあっては、「万国公法」は諸国間の関係を規律する実定的な法規というよりは、五箇条の御誓文が「天地の公道」としてこれに言及したことが示すように、自然法的な道徳規範ないしは人類の正義と公正の諸原則として受け取られていた(後略)」と記す。(『同』、頁七二五。一部表現を改めた)