井原沿線空の旅 − 各駅編
備中呉妹駅
駅の説明 駅周辺の写真 周辺の史跡・名所等
猿掛城跡
◆猿掛城跡(倉敷市真備町猿掛・矢掛町横谷)

両町の境にある。源平合戦で功のあった庄氏が築城したのではないかといわれている。
備中の国の中では松山城につぐ規模であり、旧山陽道に睨みをきかす城であった。
戦国時代には毛利元清が城主をつとめた。標高232mにあり急斜面になっていて、下から攻めるには難しい地形である。天文年間(1532〜1555年)から永禄年間(1558〜1569年)に幾度か戦乱にみまわれた。毛利家の衰退化にともない廃城になった。

※撮影:平成9(1997)年4月
琴弾橋
◆琴弾(ことひき)橋(倉敷市真備町妹)

猿掛橋と井の口橋を撤去し両橋を統一。
遠くの正面に井原鉄道の高架橋が見える。

※撮影:平成19(2007)年4月
橋物語
◆橋物語

猿掛橋と井の口橋の昔の姿。

※撮影:平成19(2007)年4月
八高廃寺
◆八高(はっこう)廃寺跡(倉敷市真備町八高)

古代寺院跡で岡山県指定史跡。現在は、塔の心礎だけが残っており、そのほかの伽藍配置は不明。周辺では、古瓦も多数発見され、それらの遺物から、寺院創建は、白鳳時代で、その後も「八高堂」と称され存続したようだ。
備中呉妹駅から南西約1km

※撮影:平成19(2007)年4月
琴弾岩
◆琴弾(ことひき)岩(倉敷市真備町妹)

宝亀2(771)年3月、吉備真備は右大臣を辞して、故郷に帰り、文学や音楽、そして自然を楽しんだという。
そして、小田川にかかる猿掛橋を渡るとある、琴を奏でるのに手頃な大岩の畳六畳くらいの岩の上で、琴をひいたという伝説が残っている。その故事にちなみ、その岩は「琴弾岩」と名づけられている。
現在も、中秋の名月の夜に弾琴祭(昭和24(1949)年にはじめられた)が行われている。

※撮影:平成11(1999)年4月
毘沙門天立像
◆毘沙門天(びしゃもんてん)立像(りつぞう) 
  (倉敷市真備町尾崎)

 倉敷市真備町尾崎、石田の集落にある石鎚山(標高130m)の山頂に、戦国時代の山城の見張り台だと言われる頂を形成する巨岩に像が刻まれている。甲冑を着け、左手に宝塔を、右手には宝棒を持ち、鬼を踏みつけた勇壮な姿は見た者を圧倒する。毘沙門天立像は高さ、幅とも約4mの自然石に彫り込まれ磨(ま)崖仏(がいぶつ)で、立像自体が1.7m、ベンガラで着色した形跡が残る。室町後期の作とすれば四百年以上の昔から、毘沙門さまは見ていたはず。登山口からロープを伝い約15分で立像から岩の上に、しかし急斜面のため高齢者には無理かとも考えられます。
備中呉妹駅から北西約1km

※撮影:平成19(2007)年4月
参考文献
井原線八十八箇所納駅帳 日本文教出版 河原 馨/編著(1998年)
山陽新聞社、倉敷市真備支所  真備町史 
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〔岡山県立図書館メディア工房〕
《ご参考》デジタル岡山大百科