井原沿線空の旅 − 各駅編
井原駅
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田中美術館◆田中(でんちゅう)美術館(井原市井原町)

井原駅から10分ほど北西に歩くと、彫刻家、平櫛田中の功績を顕彰した田中美術館がある。
代表作の鏡獅子をはじめとし木彫、ブロンズ、書など約200点が保存展示されている。
田中美術館は、平櫛田中の作品を一同に集め、その功績を伝えることを目的として、昭和45(1970)年に井原市田中館として開館したのが始まりである。その後、昭和48(1973)年11月に、博物館法により、井原市立田中美術館と改名された。
平櫛田中については、おかやま人物往来を参照のこと。
井原駅から北西800m
※撮影:平成19(2007)年2月
田中美術館
◆田中美術館 正面玄関(井原市井原町)


※撮影:平成19(2007)年2月
田中美術館
◆田中作鏡獅子(井原市井原町)


田中美術館前にある田中苑内の鏡獅子

※撮影:平成19(2007)年2月
興譲館
◆興譲館全景(井原市西江原町) 

※撮影:平成10(1998)年6月
興譲館
◆興譲館(こうじょうかん)高校(井原市西江原町)
幕末、子弟教育のため開設された私学校。ペリー来航の嘉永6(1853)年に現在地に開校した。
初代館長には、嘉永4(1851)年より後月郡簗瀬村(現井原市芳井町)で、桜渓塾を開き、若者の教育にあたっていた儒者阪谷ろうろを招いた。
当初は、「江原郷校」「教諭所」と呼ばれたが、安政元(1854)年に「興譲館」に改められた。
興譲の起源は、「大学」(史書の1つ)に「一家仁なれば、一国仁に興り、一家譲なれば、一国譲に興る」とあるのによる。
なお、安政4(1857)年に完成した校門は、興譲館のシンボルである。
明治7(1874)年私立学校として文部省から許可され、昭和23(1948)年に私立の全日制高等学校となり今日に至っている。

※撮影:平成10(1998)年6月
興譲館
◆興譲館(こうじょうかん)高校(井原市西江原町)

東館は大正5(1916)年に建設された洋風建築。
木造二階建、寄棟造、桟瓦葺、壁体はハーフチンバーをしつらえた漆喰塗りと下見板張り。現在も大切に使われている大正ロマンの傑作である。
興譲館高校には他にも多くの興味ある施設が今も残り一見の価値がある。
     井原駅から北東1,7km 

※撮影:平成10(1998)年6月
那須与一の墓
◆那須与一の墓(井原市野上町)

源平屋島合戦で扇の的を弓矢で射落とす逸話が有名な那須与一の実像はよくわかっていない。
しかし、那須氏の系図によると、屋島の恩功で備中荏原荘を所領として与えられたとある。その系図も後世の作であり、信憑性は確かではないが、いずれにしても下野国(栃木県)の那須氏が井原にやってきたことは間違いない。
その那須与一の墓と伝えられているものである。
なお、井原駅は、那須与一にちなみ、弓と矢をイメージした駅舎が建てられている。
  早雲の里荘原駅から北西6km


※撮影:平成19(2007)年3月
青野ぶどう園
◆青野ぶどう園(井原市青野町)

ハウス栽培のぶどう園

※撮影:平成19(2007)年3月
葡萄浪漫館(新)
◆(新)葡萄浪漫館(井原市青野町)

井原市の北に位置し、小高い丘陵地帯に西日本有数のブドー園が広がっている。そのブドー園の中に葡萄浪漫館があり、野菜・果物・花きの農産物直売施設ですが、パン作りやソバ打ちの体験もできる。特にブドーの収穫時期の7月から9月は無休で活発な活動をしている。
現在の葡萄浪漫館は大きくて平成13年に開設された。

※撮影:平成19(2007)年3月
葡萄浪漫館(旧)
◆(旧) 葡萄浪漫館(井原市青野町)

 井原市では、昭和30年代は桃の栽培がブドウより多かったが、40年代になると逆転し、昭和55(1980)年では、ほとんどがブドウ畑となった。
 葡萄浪漫館は、平成5(1993)年に開設されたが、現在の建物は、平成13年に建設された二代目である。

※撮影:平成19(2007)年3月
参考文献
井原線八十八箇所納駅帳 日本文教出版 河原 馨/編著(1998年)
大百科事典、井原市史、おかやま歴史の旅百選
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〔岡山県立図書館メディア工房〕
《ご参考》デジタル岡山大百科