
◆二万(にま)大塚古墳(倉敷市真備町下二万)
真備地区の南側下二万地区にある前方後円墳。
前方部は、東に向き、全長約35m、前方部の長さが約14m、後円部の高さは約3mである。
この古墳については、古川古松軒が江戸期に記述している。
〔川辺宿駅より南約1.3km〕
※撮影:平成15(2003)年4月 |
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◆二万(にま)大塚古墳
古墳に植樹されている桜が満開となっている。
※撮影:平成15(2003)年4月 |
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◆勝負砂(しょうぶざこ)古墳(倉敷市真備町下二万)
二万大塚古墳の東約250mにあり、平成13年から調査をしていた。当初は円墳と考えられていたが、この航空写真から帆立貝形古墳であることが分かった。 しかも、この時代の古墳としては珍しいことには、未盗掘の竪穴式石室が最近(平成19年3月)発見された。そうして、副葬品も多く出土したので、第1級の古墳としてにわかに注目を集めている。
上方が東方向。
川辺宿駅より南約1.3km
※撮影:平成15(2003)年4月 |
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◆勝負砂(しょうぶざこ)古墳(倉敷市真備町下二万)
上方が南方向。
低空からの撮影。
※撮影:平成15(2003)年4月
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◆山陽道一里塚(倉敷市真備町川辺)
高梁川の土手近くにある「史跡 山陽街道一里塚」の写真である。
「江戸より百八十里」という記載が見える。
かつての山陽道に沿って、井原線は走っている。
川辺宿駅より南約1.3km
※撮影:平成19(2007)年3月 |
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◆川辺本陣跡(倉敷市真備町川辺)
川辺本陣は、山陽道の宿駅、また、小田川と高梁川の接合点に位置する川港として繁盛し、江戸時代には、総社をしのぐほどであったと伝えられている。
残念ながら、本陣、脇本陣ともに現存はせず、跡を示す標識が建てられているのみである。
川辺宿駅より南約1.3km
※撮影:平成19(2007)年3月 |
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◆岡田大池(倉敷市真備町岡田)
岡田の大池は、ふるさと歴史館の北側にある池である。
右に岡田小学校が見え、昔は敷地内に岡田藩の役所があった。
川辺宿駅より南約2.6km
※撮影:平成11(1999)年5月 |
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◆岡田大池弁天様(倉敷市真備町岡田)
池の東にちょっとせりでた所があり小さな島になっていて、そこに赤い橋がかけられ、弁天様がまつられている。
※撮影:平成19(2007)年3月 |
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◆ふるさと歴史館(倉敷市真備町岡田)
江戸時代、真備地区を支配していた岡田藩の古文書を保存した歴史館で、古文書を通して、当時の村の暮らしなど祖先の足跡にふれることができる。
また、推理小説作家、横溝正史の遺品も展示してある。
川辺宿駅より南約2.5km
※撮影:平成19(2007)年3月 |
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◆横溝正史(よこみぞせいし)の疎開地(倉敷市真備町岡田)
神戸市生まれの推理小説作家。
横溝は昭和20(1945)年4月、激しくなる戦火を避けて父の故郷である柳井原(倉敷市船穂地区)の近くである岡田に住み、昭和23年7月に東京に移るまで、ここで創作活動をつづけた。
当地で執筆された作品としては、「獄門島」「八つ墓村」などが有名である。
川辺宿駅より南約2.8km
※撮影:平成11(1999)年3月 |
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