
◆菅茶山記念館付近(福山市神辺町新湯野)
※撮影:平成11(1999)年2月 |
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◆菅茶山(かんちゃざん)紀念館(福山市神辺町新湯野)
菅茶山(かんちゃざん)紀念館(福山市神辺町新湯野)
菅茶山(1748−1827)は、江戸時代後期の福山藩の朱子学者で漢詩人。川北村(現:福山市神辺町川北)の生まれ。19歳のとき、京都に行き、はじめ医者を志したが、のち、朱子学を学んだ。天明年間初頭に郷里に帰り、「黄葉夕陽村舎」という塾を開いた。同塾は、後に福山藩に献上され、「神辺学問所」と呼ばれた。浦上玉堂をはじめ交友も広かった。
菅茶山記念館では、菅茶山をはじめとした文人、また、神辺町ゆかりの画家たちの作品を収集、展示している。
湯野駅から北東約700m
※撮影:平成11(1999)年2月 |
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◆廉熟(れんじゅく)(福山市神辺町川北)
菅茶山が天明元年(1781)に開いた学問所で、最初は黄葉山(こうようざん)の名をとり「黄葉(こうよう)夕陽村舎(せきようそんしゃ)」と呼んでいました。公式には神辺学問所とよばれたが、一般には廉塾と称した。
旧山陽道沿いにあり、建物は国の特別史跡(昭和28年・1953)3月31日になっています。
講堂・寮舎・菅茶山の居宅があり、当時のままの姿を見ることができます。
湯野駅から南約900m、神辺駅から1.1km
※撮影:平成19(2007)年4月
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◆廉熟(れんじゅく)の講堂
塾生が学問をした場所で、頼山陽が3年間を廉塾の塾頭になったこともある。
廊下には竹を組み入れてあり、左に二階の建物があるが、当時としては珍しい。
湯野駅から南約900m、神辺駅から1.1km
※撮影:平成19(2007)年4月
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