加藤清正公祠堂のご紹介 − 岡山市富田地区 | |
名称(ヨミ) | 清正公祠堂由来(カトウキヨマサコウイオリドウユライ) | |
− 祠堂(平成18年2月撮影) − |
〜 現地にある由来書き(撰文 黒田馬造氏)をテキスト化 〜 | ||
古来備前法華に安芸門徒と云われ当地一帯は日蓮宗の信仰が盛んで多くの寺院が建立された、これは南北朝時代大覚大僧正の布教が広く行われ更に中世に至って豊臣秀吉公の宿将加藤清正が日蓮宗の大信者として僧侶並びに檀徒を庇護したことが大いに力与かっていたと思われる。 当地区の資料にも「清正公日蓮宗を信仰しこの地に鹿田庄の住民を集めて説法教化の霊地がこの祠堂地であったとつたえられる。 清正公とこの地との関係は今後史家の研究によってより一層明らかにされることえを期待したいと誌されている、なお清正公祠堂は広く各地に現存しており当地でもその遺徳を偲んで祭祀(さいし)したものであろう。 当市妙勝寺の過去帳にも「淨地院加藤肥後の守慶長十六年六月卒。永運日乗神儀福永村」とありこの芝塚の五輪塔も後に清正公を追慕供養のため建立されたものと考えられる。 但し昔の社地は広く祠堂も立派で停々たる老松が堂後に聳え立って、遠くから望むことができたが今は切られて昔日の面影を偲ぶよすがもなくなった。 このたび有志相謀って祠堂の由来をしるし往時の信仰にあやかりたいものとひたすら念願する次第である。 |
(以下略) |
昭和五十四年十月吉日 |
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