熊ノ山年表  木村 武志(旧姓・熊 武志) 足跡

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年代 経歴 出来事 関連画像 エピソード
1918年
(大正7年)
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3月5日 児島郡郷内村林(現倉敷市林)に生まれる。
(父・栄太郎、母・イチの次男)
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1931年
(昭和6年)
13歳 児島味野の岡田柔道場に入門。
1936年
(昭和11年)
18歳 岡山玄武館(金光道場)三段となる。
この年、当時の横綱、玉錦にスカウトされ、熊ヶ谷(くまがたに)部屋入門。
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1937年
(昭和12年)
 1月 初土俵 シコ名「熊野山」として初土俵。
1938年
(昭和13年)
21歳 1月 西 序ノ口 8 「熊ノ山」と改名。 GO
22歳 5月 東 序二段 34
1939年
(昭和14年)
1月 東 三段目 37 GO
23歳  3月 第1回入営 現役兵として琿春駐屯砲兵隊第一中隊に入営。 GO
5月 東 三段目 8 (注)1月場所で勝ち越したので、5月場所の番付では、昇進した。しかし、3月に入営したため、出場はしていない。
1942年
(昭和17年)
24歳  6月 現役満期除隊。
1943年
(昭和18年)
 1月 東 三段目 9 周囲の反対を退け、角界に復帰。
25歳  5月 西 幕下 48 幕下に昇進し、角界より「底なし力」と異名をとる。 GO GO
 8月 応召 臨時召集により、船舶砲兵第一連隊第20中隊に入隊。(広島) GO GO
 9月4日 青葉山丸にてパラオへ向け宇品港出港。
厳しい警戒のなか家族と最後の面会。
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 9月12日 パラオ着。 GO
10月8日 第3美津丸(404トン)の備砲手としてニューギニア島ウエワクへ向け出港。
10月14日 ウエワク着。
海上輸送第四大隊第四中隊(暁船舶部隊)配属のもと、ウエワク拠点に局地輸送警備、及び揚陸作業の任務。
1944年
(昭和19年)
 2月13日 ウエワクからハンサに向け航行中、敵機の爆撃を受け、第3美津丸は航行不能となりウエワクにおいて陸上警備及び揚陸作業に従事。
その後、第25機関砲隊の指揮下に入り、ウエワク半島守備隊の任務に就く。
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1945年
(昭和20年)
27歳  5月5日 米豪連合軍、ウエワクの西オウム岬に上陸。
 5月11日 米豪連合軍の強大なる攻撃により、ウエワク守備隊全滅。
熊ノ山(木村)武志、ウエワクにおいて戦死。(東京に婚約者を残す。)
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1948年
(昭和23年)
11月28日 熊ノ山追善大相撲興行が、倉敷市林の熊野神社において催される。横綱照国(てるくに)、羽黒山一行ほか百余名。 GO GO

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