西大寺鉄道−画像
8.大師駅(ダイシエキ)


(両備ホールディングス提供)
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◆画像解説 : 

 ホームに駅名札があるだけのわびしげなたたずまいの駅である。
この駅はもともとは「幡多〔はた〕駅」といい、その後「関駅」に改称されていたが、大正5年(1916)の春ごろから、駅から3kmばかり南へ行った、鳥坂山の虚空蔵大師(ゴロゴロ大師)がにわかにはやりだし、乗降客が急増したため、駅名を「大師駅」と変更した。
当時のゴロゴロ大師の流行りようは大変なもので、西大寺鉄道でも汽車賃の大幅割引や往復切符を持っている人にラムネ1本をサービスしたりしていた。なんと国鉄までが、参詣客の便をはかり、周辺各駅から西大寺駅(現在のJR東岡山駅)経由で西大寺鉄道の幡多駅行き往復乗車券を発売していたほどであった。


(現在の大師堂)

※ゴロゴロ大師について
 百間川の右岸堤防から兼基の谷を南へ進むと「この先行き止まり」の看板がある。
 そこから道は狭くなり車一台がようやく通れる。300m位.登るとゴロゴロ大師駐車場があり、駐車場の手前を左に歩くと大師堂がある。建物は古いが綺麗に手入れがされている。
 いわれは次のとおりである。
 大正の初め、この付近の山を買った人がいた。
 1つの説としては、山には転石がゴロゴロしていたのでこの石を売ろうと石工にわらせた。
 もう一つの説には、もともとここには操山八十八箇所のひとつで、虚空蔵〔こくぞう〕菩薩を祀った祠があり、傍に大きな石があつた。この石には子供の頭が入るくらいの穴があり、顔をこの穴に入れるとゴロゴロと音がしたと言う。持ち主はこの石を売ろうとして石工に割らせた。等の説があるが今では判らない。 ともかく石工に大石を割らせたところ、その夜石工の妻が発狂した。また地主の身内にも病人が相次いだ。困った石工が祈祷師に頼んでお祈りをしてもらったら「ゴロゴロ石を割った祟りである」といわれたので、石工は早速ゴロゴロ石にお断りをしたところ妻の病も病人達も治った。そこで地主は大師堂を建て虚空蔵菩薩をお祀りした。
 噂が噂をよび「流行り病を治す仏様」として参詣者が列をなした。多い日には賽銭だけで10円(当時の額)以上あり、沿道には40数軒の店が並んだという。しかしながらいつの間にか流行り神様としてすたれてしまった。今では地元の人達がお祀りしているだけである。

◆参考文献
 『西大寺鉄道五十二年の歩み』 両備バス株式会社/編 (1962年)
 『岡山文庫 操山を歩く』 谷淵 陽一著 (2003年)
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〔岡山県立図書館〕

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