栗棘叢と大活堂など | |
栗棘叢と大活堂 | リツキョクソウトダイカツドウ | |
禅堂としての 栗棘叢と大活堂 |
栗棘叢と大活堂はともに禅堂とされています。中国の禅堂に習って、東西対象の位置に建てられています。栗棘叢は下の写真のように坐禅専用の修行堂であるが、大活堂は生活の場としても使われているようです。生活の場も即ち修行道場であり禅堂とされているのも理解できます。なお、栗棘叢は一般では獅子堂とも言われるようです。それ故、前庭に獅子の像が設置されているのでしょうか。 栗棘叢の正面には文殊菩薩像が奉られています。畳に並べられている座布団に並んで坐り、警策を持った僧が床を歩いて坐禅僧の肩を打ちます。 坐って半畳、臥して一畳といわれる修行僧の生活が想像されます。 |
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禅の巨匠を輩出 | そもそも、藩主治政公が仏教の形骸化を憂えて菩提寺を開放し、太元孜元禅師に禅の修行者を育成せしめ、仏教の活性化を願ってこれら禅堂が建てられたとのことです。これにより太元、儀山の時代に全国から修行僧が往来して隆盛を極めたと言われています。 鎌倉円覚寺に今北洪川・釈宗演、妙心寺に越渓守謙、天龍寺に滴水宜牧、大徳寺・南宗寺に儀山自身が出られています。幕末から明治の激動の時代を支えた禅の巨匠が悉く太元禅師の門下であったことからも、この禅堂が果たした役割が如何に大きかったかが想像できます。 明治の文豪・夏目漱石が釈宗演の薫陶を受けたことも逸話としてあります。(水上勉著、「新編水上勉全集第五巻」中の「曹源一滴のこと」参照) |
− 栗棘叢(平成14(2002)年2月15日撮影) − |
入り口に掲げられている。文字は「栗棘叢」。 | - 栗棘叢の入り口 - | |
- 文殊菩薩像 - 栗棘叢に安置されている。 |
- 栗棘叢前庭の獅子像 - | |
- 坐禅の指揮をとる道具等 - | - 栗棘叢に隣接する「浄心庵」坐禅の場 - | |
- 大活堂の入り口 - | - 大活堂 - 栗棘叢の東西対称の位置にある。 |
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