大正15年5月 岡山県案内写真帖
3 岡山医科大学
前の写真へ    画像一覧    次の写真へ
◆文字
岡山医科大学
岡山市岡に在り元岡山県医学校と称し岡山県の経営に属す明治十九年第
三高等中学校医学部と成り明治三十四年全然文部省直轄の学校と変して
岡山医学専門学校と称し更に大正十年三月三十一日昇格して大学と成り
以て今日に至る中国医学の源泉たり

◆説明
「岡山医科大学」について
岡山医科大学(現、岡山大学医学部)の沿革は県内の学校でも有数の複雑さを持つ。
明治3(1870)年4月、岡山藩は上道郡門田村操山のふもと利光寺跡に医学館を設け、医学教育を開始する。明治5(1872)年から医学所、医学教場と相次いで名称を変更し、明治13(1880)年には岡山県医学校と改称している。この間、場所も岡山中之町、栄町、弓之町と変わり、明治17(1884)年には内山下西ノ丸へと移転している。
明治19(1886)年の中学校令により明治21(1888)年4月から第三高等中学校医学部、明治27(1894)年の高等学校令により第三高等学校医学部、明治34(1901)年には岡山医学専門学校となり大正10(1921)年鹿田の新校舎に移転、大正11(1922)年には岡山医科大学となっている。

◆参考文献
「岡山医科大学」について
『岡山大学医学部百年史』 岡山大学医学部百年史編集委員会編 岡山大学医学部創立百周年記念会 1972
『岡山県教育史 上巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『岡山県の教育史』 ひろたまさき、倉地克直編著 思文閣出版 1988

トップページ    −    写真の一覧
 〔岡山県立図書館メディア工房〕
《ご参考》デジタル岡山大百科で関連情報を検索する。