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◆文字 |
閑谷学校附閑谷神社 |
和気郡伊里村に在り寛文六年旧岡山藩主池田光政封内の子弟教養の為創
立せしもの津田永忠専ら経営の事に当り清堂聖堂門墻磴道其の他附属工
作物尚旧時の規模を存す芳烈廟は今県社閑谷神社にして光政を祀り旧域
内の一部は現時県立閑谷中学校の敷地に用いらる
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◆説明 |
「閑谷学校附閑谷神社」について |
庶民の子弟の教育を主体とした岡山藩の郷校(郷学)。
寛文10(1670)年、藩主池田光政は津田永忠に、和気郡木谷村延原に大規模な学校の設置を命じ、地名を延原から閑谷へと改めた。日本最初の郷校であり、岡山藩学校とともに全国的に有名な存在であった。
開学以来、幾多の盛衰を迎えながらも施設の大半がよく保存され、旧閑谷学校が国の特別史跡、講堂が国宝など、その多くが文化財に指定されている。
長い歴史の中では山田方谷を督学に迎え、武元登々庵・君立兄弟、大原孫三郎、正宗白鳥、藤原啓らが学んでもいる。
閑谷神社は創始者池田光政を祀り、貞享3(1686)年に完成した。東御堂あるいは芳烈祠と呼ばれていたが、明治8(1875)年に独立した神社として名称変更している。
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◆参考文献 |
「閑谷学校附閑谷神社」について |
『増訂 閑谷学校史』 福武書店 1987
『岡山県教育史 上巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『閑谷学校』 今村新三著 山陽新聞社 1990
『特別史跡閑谷学校』 谷口澄夫、神野力文 福武書店 1975
『閑谷学校の建造物』 備前市歴史民俗資料館 2004
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〔岡山県立図書館メディア工房〕 |
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