大正15年5月 岡山県案内写真帖
25 鶴山城址
前の写真へ    画像一覧    次の写真へ
鶴山城址
◆文字 苫田郡津山町に在り嘉吉元年辛酉冬山名教清赤松満祐を討滅せし功を以
て美作の守護職に補せられ其の族山名判官忠政をして城を此所に築き住
せしむ明治八年天守閣を取毀ち其の後引続き他の建物を倒し現在石垣を
存するのみ今は鶴山公園となれり

「鶴山城址」について
◆説明 森忠政が美作国の国持ち大名となったのは慶長8(1603)年のことである。院庄に館を築いた忠政は城地の候補の中から「鶴山」を選定。翌9(1604)年に鶴山を津山と改め、城下町の惣鎮守となる徳守神社の造営に着手し、津山城と城下町の建設が開始された。故に津山城は鶴山城あるいは鶴城とも呼ばれる。
津山城の完成までには10年以上の歳月を要し、落成の祝典を挙げたのは元和2(1616)年のことであった。
森家の津山藩統治は元禄10(1697)年まで続いたが、その後改易となり翌11(1698)年から明治4(1871)年の廃藩置県まで松平家の統治が続く。
津山城は明治6(1873)年、太政官から陸軍省への達しの中で廃城が決定している。これに対し、城郭存置運動の声は聞かれなかった。城郭の取り壊しは明治7(1874)年春から翌8(1875)年3月まで続いた。
現在の津山城跡は鶴山公園として、日本でも有数の桜の名所となっている。

「鶴山城址」について
◆参考文献 『津山市史 第2巻〜第6巻』 津山市史編さん委員会編 津山市 1973〜1995
『戦国武将 森忠政』 津山郷土博物館 2004
『津山城 資料編』 津山市教育委員会 2000
『岡山県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第9冊』 岡山県史蹟名勝天然紀念物調査会編 名著出版 1974
『岡山県史 第6巻 近世1』 岡山県史編纂委員会編 岡山県 1984

トップページ    −    写真の一覧
 〔岡山県立図書館メディア工房〕
《ご参考》デジタル岡山大百科で関連情報を検索する。