大正15年5月 岡山県案内写真帖
28 高梁川
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◆文字 高梁川
高梁川は其の源を阿哲郡北部の山中に発し瀬戸内海に注く県下三大川の
一なり其の流域面積百六十一平方里流路延長三十一里灌漑段別一万六千
四百三十六町歩水害区域二万三百九十一町歩にして従来豪雨あれば洪水
氾濫其の被害名状すへからす即政府は下流の改修を企画し明治四十年工
を起し年を閲する事大正十五年漸く完成せり此の工費七百九十余万円に
上る

◆説明 「高梁川」について
高梁川は吉井川、旭川と共に岡山県三大河川の一つで、3河川のうち1番西側を流れる。
古くは川辺川、松山川などと呼ばれ時代や地域で異なった名称で呼ばれていた。高梁川となったのは、松山藩が高梁藩と改められた明治2(1869)年以降と考えられる。
高梁川上流は花崗岩の風化土壌が広く分布し、加えて古くからの鉄穴流し(かんなながし)による土砂の流出もあって、下流での沖積作用が盛んである。
高梁川中流は石灰石台地に深く刻まれた渓谷美が知られており、吉井川、旭川ではあまり見られない光景となっている。
古来より水害も多く、特に明治25(1892)年・翌26(1893)年の被害は甚大であった。また、吉井川、旭川に先駆け明治40(1907)年に始まった改修工事は18年の歳月をかけて大正14(1925)年に終了した。

◆参考文献 「高梁川」について
『高梁川史』 建設省岡山河川工事事務所 1975
『高梁川改修工事概要』 内務省大阪土木出張所 1925
『高梁川』 吉沢利忠著 山陽新聞社 1997
『増補版 高梁市史 下巻』 高梁市 2004

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 〔岡山県立図書館メディア工房〕
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