大正15年5月 岡山市写真帖
京橋
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◆説明 「京橋」
もとは古京町と片上町間の橋を京橋と称していたが、文禄2(1593)年に宇喜多秀家が現在の位置に架け替えさせた。中世の山陽道は岡山の北を抜ける行程であったが、架け替え以後、山陽道が通ることとなり京橋は岡山の賑わいの中心となった。
以後、繰り返し修繕、架け替えがなされたが、いずれも木桁橋であり、鉄桁・鉄柱となったのは大正6(1917)年3月25日開通式なった架け替えからである。また、大正11(1922)年には拡幅工事がなされ、翌12(1923)年7月9日からは路面電車(岡山電気軌道旭東線)が通るようになった。
現在では照明や欄干の姿は変わっているが、橋桁などは大正6(1917)年のままである。
また、京橋上流側に水道橋が架かっている。この水道橋も明治37(1904)年完成、翌38(1905)年通水式と、ともに現役の近代化遺産として貴重なものである。

◆参考文献 「京橋」について
『岡山市史 第6巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
『岡山県の近代化遺産』 岡山県教育庁文化財課編 岡山県教育委員会 2005
『岡山県歴史の道調査報告書 第1集 山陽道』 岡山県教育委員会 1992
『おかでん七十年の歩み』 岡山電気軌道 1980

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 〔岡山県立図書館メディア工房〕
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