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◆説明 |
「岡山工芸学校」 |
大正3(1914)年7月、岡山市船頭町の岡山市立清輝小学校旧校舎を仮校舎として岡山市立岡山工芸学校が設立された。開校式は翌4(1915)年11月に行っている。
なお、岡山駅前の桃太郎像で知られる岡本錦朋(金一郎)は大正12(1923)年木工科の卒業である。
仮校舎では手狭になったが、移転先の決定は難航し岡山市東古松(国鉄宇野線の廃線地)にようやく決まり、大正15(1926)年6月に落成式を行った。
昭和19(1944)年4月に岡山市立第一工業学校と改称したが、同21(1946)年から毎年、岡山市立工業学校、岡山市立第一工業学校、岡山市立工業高等学校と改称した。
さらに昭和24(1949)年8月には岡山県立岡山工業高等学校と統合し、岡山県立岡山西高校となった。
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「岡山商業学校」 |
明治35(1902)年4月、岡山市立岡山商業学校として開校。翌36(1903)年11月、岡山市磨屋町(岡山寺)の仮校舎から私立養忠学校跡(現、岡山県立図書館)へ移転した。開学当初から男女共学であったが、授業などは別々で卒業写真だけは一緒に写していたという。
明治44(1911)年4月深柢小学校に附設されていた私立岡山商業補習学校が岡山商業補習学校となり移転併設した。
大正8(1919)年10月に岡山商業学校と改称、同年11月には校舎の全面改築竣工なった。
昭和12(1937)年4月に男子部は岡山市奥田に完成した新校舎に移転、女子部は岡山女子商業学校と改称し従来の校舎を使用した。
昭和20(1945)年6月29日の空襲によって両校とも全焼したが、ともに旧位置に校舎を新築した。
その後、両校とも校名をたびたび改称したが、昭和24(1949)年8月に統合し岡山県立岡山南高等学校となった。統合後もそれぞれの校舎を使用し、男女共学で完全に移転が完了したのは翌25(1950)年9月のことである。
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◆参考文献 |
「岡山工芸学校」について |
『工の伝統 創立100周年記念誌』 岡山工業高等学校 2001
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「岡山商業学校」について |
『百年のあゆみ』 岡山南高等学校 2002
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〔岡山県立図書館メディア工房〕 |
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