明治時代の印刷物 − 文明開化の頃のデザイン − | ||||||
引札編〔岡山・備中高松〕 | ||||||
次の図は、明治39(1907)年発行の周辺地図である。岡山〔おかやま〕と備中高松〔びっちゅうたかまつ〕(地図上では「高松」と表示)の位置関係がわかる。また、その下側には、明治44(1911)年発行の岡山市の市街図もあわせて表示するので、岡山市内の町名を確認する際の参考としていただきたい。 |
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(『岡山県新地図 実地踏測』地理研究会(1907)《岡山県立図書館所蔵》の一部) 「デジタル岡山大百科」でこの古地図の全体を見ることができます。 |
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(『岡山市明細地図』大久保翠琴堂(1911)《岡山県立図書館所蔵》) ※地図の一部を切り抜き、地名を追加しております。 「デジタル岡山大百科」でこの古地図の全体を見ることができます。 |
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岡山は、備前藩(32万石)の城下町として栄えてきた。 なお、岡山という名称の由来は、この地域が、もともと旭川西岸の「岡山(岡山城がある烏城公園内の丘)」「石山」「天神山」のあったところを中心に発展してきたことによるという。 次に、備中高松は、今から約1,200年前に開かれた最上稲荷の門前町として、参拝客でにぎわってきた。豊臣秀吉による高松城水攻めの故事も有名である(デジタル岡山大百科内には、関連絵図〔備中国高松城水攻之図など〕を公開している)。 なお、備中高松にも中国鉄道(明治37(1905)年開通、現JR吉備線)の駅がつくられた。 |
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** 収録画像一覧 ** |
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※ご参考 | ||||||
明治時代の岡山周辺の事業所、店等の案内書として、『デジタル岡山大百科』では、「山陽吉備之魁」をデジタル化して公開しております。(閲覧には、プラグインが必要です《こちらに説明があります》)。 ◎閲覧方法 『デジタル岡山大百科』のキーワード検索 (使い方) で「山陽吉備之魁」と入力 |
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※参考文献 | ||||||
『角川日本地名大辞典』角川書店(1989年) |
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