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『デジタル岡山大百科』の「絵図・古地図」コンテンツを使って、知的探検する例を示します。 このほか、現在の地名と比べてみるなど、さまざまな楽しみ方を考えて見れば面白いと思います。 |
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※ご参考:絵図・古地図を楽しむためには? ◆「絵図・古地図」を閲覧するための操作方法 →→ こちら(閲覧にはプラグインが必要です) ◆絵図・古地図コンテンツにアクセスする方法 1 (名称がわかっている場合)キーワード検索を活用 2 次のリンクから表示される一覧を利用 ・(岡山大学附属図書館所蔵)池田家文庫絵図 ・(岡山県立図書館所蔵)絵図・古地図 ◆現在の岡山県の地図を表示する →→ こちら |
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その1 城下図を見る まずは、江戸時代の藩主が住んでいたお城の周りに広がる町を見てみましょう。 ※右図は、「岡山城下之図」の一部です。 ※「おかやま全県統合型GIS」を利用すると現在の航空写真を見ることもできます。 ※なお、この地図は、上側が南(瀬戸内海方面)になっており、その2の地図とは逆向きです。 《この絵図を眺めて》 現在の岡山城周辺と比べて、どうでしょうか。また、身分制度の厳しかった江戸時代だけに身分によって住んでいる場所が分けられています。 |
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その2 市街図を見る 次に、明治時代の市街図(岡山市)を見てみましょう。 ※右図は、「岡山市明細地図」の一部です。 ※「おかやま全県統合型GIS」を利用して、現在の航空写真と見比べてみると面白そうです。 ※現在の地図と比べる方法としては、「デジタルおかやま大百科」の「地図(GIS)」機能もご利用ください。 《この古地図を眺めて》 岡山県庁や岡山市役所は、今とは、違う場所にあります。また、岡山駅は市街地のはずれにあり、現在と比べて街は小さかったようです。 |
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その3 国絵図を見る 江戸時代の岡山県は、備前・備中・美作と呼ばれる国から構成されていました。 ここでは、そのうち、備中に関する国絵図を見てみましょう。 ※右図は、「備中国地図」の一部です(現在の笠岡市周辺)。 ※現在の地図と見比べる方法は、上記と同様「デジタルおかやま大百科」のGIS機能をご利用ください。 《この絵図を眺めて》 現在は、陸続きになっている神島が島であったことがわかります。このように岡山県南部は、興除新田を始め、干拓が盛んだったのです。 |
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その4 備中高松城水攻め関係 羽柴(豊臣)秀吉が毛利方の清水宗治を攻めた有名な故事にちなむ絵図を見てみましょう。 ※右図は、「備中国高松城水攻之図」の一部です。 《この絵図を眺めて》 高松城の周囲を取り囲んでいる様子がよくわかります。また、足守川をせき止めて作った堤防が城を囲んでいる様子もよくわかります。 |
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その5 錦絵を見る 最後に錦絵とよばれる多色刷りの版画を見てみましょう。 ※右図は、「岡山場内博覧会図」の一部です。 《この絵図を眺めて》 人々の服装に注目してください。明治時代に入っても多くの人は、和服を着ていました。来場者の数からも当時も今も博覧会は、人々の関心を集めるところであったようです。また、錦絵の左上には、築城以来の岡山城の由来が書かれています。 |
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