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金剛頂寺神像

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メタデータ

タイトル
タイトル

金剛頂寺神像

(コンゴウチョウジ シンゾウ)

郷土情報の種類
郷土情報の種類

画像

作成者または作成団体
作成者または作成団体

鏡野町立図書館

(カガミノチョウリツトショカン)

公開者または公開団体
公開者または公開団体

鏡野町立図書館

(カガミノチョウリツトショカン)

郷土情報の概要
郷土情報の概要

この像は、山城の金剛頂寺にある。その昔、兵火にあった東大寺の再建を、治承4年(1180)後白河法皇より命ぜられた俊乗房重源上人が、各地下向の時、美作蕎麦尾山に参籠、大任成就を祈り霊験を得、大いに喜んで、防災護持のために熊野権現を勧請せられたものと言う。この蕎麦尾山金剛頂寺には、この時代の通例に従い一山の守護神として白山社、庚申堂稲荷社、毘沙門堂等天部諸神が祀られていた。さらに、一山の総鎮守として三宝荒神が祀られていたが、重源上人によって観音霊場の守護神、南海普陀落浄土の熊野権現を勧請合祀したのが現在の神像である。この神像は元、山城の室地区の下の山中(標高差約110m)にあり、昭和14年(1939)に現在地に下山したものである。金剛頂寺は、縁起によれば大宝3年(703)の頃、鑑真和上(688~763)の開基と伝えらている。昔の蕎麦尾山上には堂塔が建ち並び、美作地方屈指の寺院として幾つかの末寺を抱え賑わいを見せていたという。又、空海(774~835)も巡錫されているともいわれている。度々の火災や明治の神仏分離等により衰退し、戦時中は住職出征後無住、寺は荒れ宝物等も紛失し、昭和14年(1939)に現在地に移転。したがって神像も同時に現寺院に祀られたのである。昭和51年4月1日 鏡野町指定彫刻。所有者:蕎麦尾山金剛頂寺(住職 木下宥章氏)

場所
場所

岡山県苫田郡鏡野町山城782

NDC分類
NDC分類

718:仏像

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