【柵原鉱山閉山】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク
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柵原鉱山閉山

動画数:1本

カテゴリ情報

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メタデータ

タイトル
タイトル

柵原鉱山閉山

(ヤナハラコウザンヘイザン)

郷土情報の種類
郷土情報の種類

動画

作成者または作成団体
作成者または作成団体

テレビせとうちクリエイト

(テレビセトウチクリエイト)

公開者または公開団体
公開者または公開団体

岡山県立図書館

(オカヤケンリツトショカン)

共同作成者または共同作成団体
共同作成者または共同作成団体

柵原町鉱山資料館

(ヤナハラチョウコウザンシリョウカン)

柵原町産業課

(ヤナハラチョウサンギョウカ)

郷土情報の概要
郷土情報の概要

”東洋一の硫化鉄鉱床を誇った岡山県久米郡柵原町の同和鉱業柵原鉱業所が1991年3月末で採掘を終え、75年の歴史に幕を閉じました。柵原鉱山の歴史は江戸時代までさかのぼりますが、1916年、藤田組・現在の同和鉱業が鉱山を買収し、硫化鉄鉱の採掘が本格化しました。豊富な埋蔵量と高品質は「東洋一」という評価を得、硫化鉄鉱は肥料・化学工業などに需要のある硫酸や鉄の原料になりました。特に、戦後の食糧増産のための肥料の生産に大きな貢献をしました。1931年、鉱石輸送のための片上鉄道が全通、片上港からも盛んに鉱石が搬出されました。1961年には、鉱山のシンボル中央たて坑(こう)が完成””年間7万トンを生産。1955年代後半から1965年代前半にかけて鉱山(ヤマ)はピークを迎えました。最大で約3000人の従業員が働き、町の基幹を担っていた柵原鉱山ですが、硫酸の製造法の変化や、円高の影響を受け、採掘事業は大幅に縮小。1991年3月、閉山しました。鉱石運搬に利用され、地域住民の足でもあった片上鉄道も鉱山と命運を共にし、この年6月に惜しまれながら廃止されました。 坑内採掘終了後は、ベンガラやフェライトの生産などを行っていますが、最近は黄ニラ栽培などの抗道農業に取り組み、また低酸素のスポーツ実験施設も完成しています。1998年には、鉱山資料館や片上鉄道を展示する「柵原ふれあい鉱山公園」が整備され、最も賑やかだった鉱山町の様子が体験できるようになっています。

場所
場所

岡山県久米郡美咲町久木

NDC分類
NDC分類

560:金属工学.鉱山工学

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http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004090621142437654