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備中国地図(KM200/1)
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メタデータ
タイトル | |
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タイトル | 備中国地図(KM200/1) (ビッチュウノクニチズ KM200/1) |
郷土情報の種類 | |
郷土情報の種類 | 画像 |
公開者または公開団体 | |
公開者または公開団体 | 出版者不明 (シュッパンシャフメイ) |
郷土情報の概要 | |
郷土情報の概要 | 図1枚 90×65cm(折りたたみ18×23cm) 続きを見る この絵図は池田家文庫の中にある『備中国絵図』(※T1−26)とよく似ている。絵図中の道筋や書込みもほぼ同じである。異なっている点は窪屋郡の石高(6石食い違っている)、本村と枝村の数(数値が逆になっている)、川上郡の枝村の数(1村の増減)である。したがって2枚の絵図の違いは誤写によるものだと考えられる。決定的な違いは2枚の絵図の臨海部の描き方にある。備前児島地、浅口郡、小田郡の形や島々の数、形などが明らかに相異している。石垣の堤防が連島と亀島(いずれも現倉敷市)にかけて描かれているが『備中国絵図』(※T1−26)にはみられない。この堤防は寛永16年(1639)備中国成羽藩主となった水谷勝隆が築いたものだと考えられる(*1)。 寛永19年(1642)に水谷勝隆は備中国松山へ転封となり、連島が領地ではなくなったために新田開発が一時中断する。堤防が描かれれた絵図には他に正保の備中国絵図がある。欄外に大名、旗本の名前と石高が記されているが、絵図中に花房氏の名前が2つあるにもかかわらず「花房大膳」としか記されていない。花房大膳職重は貞享4年(1687)6月に死んでいる。山崎主税は山崎義方のことで元禄元年(1688)12月に家督を継いでいる。蒔田連三郎、戸川与一郎、水野弥之助、榊原左門は「新訂寛政重修諸家譜」で確認できない。但し水野弥之助、榊原左門は水谷弥之助、榊原左衛門の誤りだと考えられる。以上のことから貞享4年、元禄元年を中心に±3年の様子を描いたものだと推察されるが、不確実な記述を含んだものである。(*1)「岡山県農業土木史」(第1篇第三節296頁〜301頁) 作成日:江戸中期 続きを閉じる |
場所 | |
場所 | 岡山県倉敷市, 岡山県笠岡市, 岡山県井原市, 岡山県総社市, 岡山県高梁市, 岡山県新見市, 岡山県真庭市 |
NDC分類 | |
NDC分類 | 291.75:岡山県 |
検索キーワード | |
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検索キーワード | 国絵図 |
対象年齢 | |
対象年齢 | 全年齢, 高校生, 中学生, 小学生(高学年), 小学生(低学年以下) |
郷土情報の言語 | |
郷土情報の言語 | jpn |
メタデータ公開年月日 | |
メタデータ公開年月日 | 2011-02-28 |
メタデータ更新年月日 | |
メタデータ更新年月日 | 2011-05-20 |
このページのURL | |
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このページのURL | http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004093016430142329 |