表紙から「享保」という年号を読みとることができる。「享保十巳町屋ニ成ル」という記述がある一方で,「享保十三町家二成ル」という貼紙が付けられた部分があることから享保10年(1725)から享保12年(1727)の間にこの史料が作成されたと考えられる。では貼紙はいつごろ付けられたのであろうか。日置織部は元文4年(1739)12月に織部と改名している。日置織部という貼紙の下には先代の日置猪右衛門の名がみえる。猪右衛門が亡くなって織部が家督を相続したのは元文4年(1739)11月のことであった。このことから貼紙は元文4年(1739)以降に付けられたと考えることができる。池田但見が池田大学と改名するのは寛保元年(1741)12月なので貼紙は寛保元年までに付けられたと思われる。「七軒町同裏町共」の項に「多宮様御やしき」という貼紙が付けられた部分がある。多宮様とは池田綱政の孫で,鴨方藩2代藩主池田政倚(まさより)の養子となった人物である。享保10年(1725)安之丞から多宮と改名し,江戸に赴くが,多病のために相続ができないということで元文2年(1737)に岡山へ戻っている。(文責:岡山県立図書館)
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