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維新以来外国人雇入書類
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メタデータ
タイトル | |
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タイトル | 維新以来外国人雇入書類 (イシンイライガイコクジンヤトイイレショルイ) |
郷土情報の種類 | |
郷土情報の種類 | 文字 |
公開者または公開団体 | |
公開者または公開団体 | 〔岡山県写〕 (オカヤマケン) |
郷土情報の概要 | |
郷土情報の概要 | 1冊 29cm 続きを見る 岡山藩、岡山県が雇った3人の外国人についての書類が混在している。オランダ医ロイトル・ボードインは明治3年4月1日から3ヵ年の契約で岡山藩医学館および病院に勤務することになった。大阪へロイトルを迎えに行ったのは医学館の好本純蔵であった。この史料にある「條約書寫」のロイトルとの約定に署名している小川淡は明治3年10月に岡山藩権大属となっている。「條約書寫」の表紙に「魯氏不身持ニ付暇遣候手合ニ而辛未七月七日夜乗船」とある。したがってロイトルは明治4年7月に大阪に帰ったことになる。酒乱であったことが原因であったらしい。このときの同行者は好本純蔵(医学二等教頭)、島村貫吾(医学二等教授)、河野喜三郎(議事院出仕)であった。ちなみにロイトルの叔父はA・F・ボードイン博士であった。ペルシワル・オスボンは英国人であった。「條約譯文」によれば岡山藩伊丹禊太(兵学二等教頭)、森下龍三との間で約定を結んでいる。契約期間は明治4年1月14日から2ヵ年であった。オスボンは岡山藩洋学所教師として英語、仏語を教えた。明治5年1月には洋学所が岡山県普通学校となったため普通学校教師となった。しかし明治5年4月に退職した。アメリカ人医師ワーレス・テーラーは明治8年9月1日から明治9年2月29日までの6ヵ月間の契約で、岡山県病院に勤務することになった。「條約書」※には生田安宅、虫明弘斎の名がみえるが2人とも岡山県病院に属していた。テーラーが明治8年10月21日に解約を申し出たため、明治8年11月8日解約している。テーラーは明治8年11月29日に開設した同志社英学校の教師になっている。新島襄を助けるために岡山県との契約を解約したことになるだろう。この史料の中には元美から貞久宛の手紙が入っている。ボードインとオスボンについて貞久が元美に尋ねたところ、元美がボードインとオスボンの事がわかる資料や人物を回答したものだと考えられる。「岡山縣職員録明治十年一月廿三日改」をみると史誌編輯のところに成田元美の名前を確認できる。また六等属のところに三宅貞久の名前がある。元美は成田元美、貞久は三宅貞久ではないだろうか。同じ職員録の等外四等のところには手紙の中に出てくる須々木信成の名前がある。手紙の中の榎は榎養雲、岸浄は岸浄蔵だと推測している。(文責:岡山県立図書館) 続きを閉じる |
NDC分類 | |
NDC分類 | 490:医学 |
検索キーワード | |
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検索キーワード | 和装本対象 |
対象年齢 | |
対象年齢 | 全年齢, 高校生 |
郷土情報の言語 | |
郷土情報の言語 | jpn |
メタデータ公開年月日 | |
メタデータ公開年月日 | 2011-02-27 |
メタデータ更新年月日 | |
メタデータ更新年月日 | 2023-07-12 |
このページのURL | |
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このページのURL | http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004093020050642890 |