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御婚姻御祝儀御目録
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メタデータ
タイトル | |
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タイトル | 御婚姻御祝儀御目録 (ゴコンインゴシュウギオンモクロク チカラスケサマゴコンインゴシュウギオンモクロク) |
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郷土情報の種類 | 文字 |
公開者または公開団体 | |
公開者または公開団体 | 〔製作者不明〕 (セイサクシャフメイ) |
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郷土情報の概要 | 1通 18×122cm(折りたたみ18×5.5cm) 続きを見る この史料にある主税助は山崎治正、弾正大弼は上杉齊憲(米沢藩主)だと考えられる。山崎治正の正室になった於孝は上杉齊定の娘で、齊憲の妹である。山崎家は成羽知行所(川上郡成羽町)を支配する交代寄合衆であった。山崎治正は文政4年(1821)に平野長興の二男として生まれた。実母が山崎義〓の娘であったため山崎義柄(義〓の子)の養子になったと考えられる。山崎治正は文政10年(1827)に家督を相続している。於孝は文政11年(1828)に上杉齊定の娘として生まれた。山崎治正と於孝がいつ婚姻したかははっきりしないが弘化3年(1846)12月に離縁し、於孝は弘化4年(1847)5月に亡くなっている。史料中の昌寿院とは広島藩主であった浅野齊賢の娘で、上杉齊定と再婚した人物である。薙髪して昌寿院になっているので上杉齊定が亡くなった天保10年(1839)以降の呼称だと考えられる。上杉齊憲が家督を相続し、弾正大弼になったのも天保10年のことであった。以上のことから天保10年(1839)から弘化3年(1846)までの間に作成された史料だと考えられる。史料中の奥方とは上杉齊憲の正室で、土佐藩主山内豊資の娘だと思われる。使者棚橋源吾は上杉家家臣で、「天保十一年刊須原屋茂兵衛版 天保武鑑」と「弘化二年刊須原屋茂兵衛版 弘化武鑑」にその名を確認できる。役職は御城使となっている。つまり江戸留守居役であったと考えられる。(文責:岡山県立図書館) 続きを閉じる |
NDC分類 | |
NDC分類 | 385:通過儀礼.冠婚葬祭 |
検索キーワード | |
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検索キーワード | 和装本対象 |
対象年齢 | |
対象年齢 | 全年齢, 高校生 |
郷土情報の言語 | |
郷土情報の言語 | jpn |
メタデータ公開年月日 | |
メタデータ公開年月日 | 2011-02-27 |
メタデータ更新年月日 | |
メタデータ更新年月日 | 2023-07-12 |
このページのURL | |
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このページのURL | http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004093020051842901 |