後に付けられた表紙に、「寛政四壬子年美作国久米北条・久米南条・勝南・英田郡之内五拾ヶ村拝借 幕府融通金弐朱判壱件文書 美作国久米北条・久米南条・勝南・英田四郡ノ内五拾ヶ村 引請郡中締岡伊八郎氏茂」とあり、裏表紙の見返しにも同様の記載がある。池ヶ原村(現津山市池ヶ原)の岡伊八郎の関係文書。美作国久米北条(くめほうじょう)・久米南条(くめなんじょう)・勝南(しょうなん)・英田(あいだ)4郡内50ヶ村が、寛政4年(1782)に幕府から借用した貸付弐朱判(「弐朱」と刻印された銀札)4千4百両の返済に関する記録を、後に一件文書としてまとめたもの。天明3年(1873)からの大飢饉(ききん)、寛政4年(1792)7月の洪水などにより、農民が経済的に行き詰まったため、10年賦で貸付を受けたものという。生野代官所宛の寛政10年(1798)2月付「去ル丑年弐朱判御拝借一村限書上帳」、同年から天保15年(1844)までの返納期限延期願などのほか、関係資料多数がまとめて綴られている。また、寛政11年(1799)〜文化13年(1816)間の「弐朱判質地譲渡引受証文」8通が挟(はさ)み込まれている。(文責:岡山県立図書館)
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