旧岡山医科大学と周辺についての解説と映像を見ることができる。 ◆映像解説 : 旧岡山医科大学と周辺の映像 現在の岡山市鹿田町にあった旧岡山医科大学は空襲時、幾つかの建物を焼失したものの、鉄筋コンクリートの建物の多くが焼失を免れ、罹災し負傷した人々の治療場所として空襲直後から大きな役割を果たしている。これらの建物はその後も岡山大学医学部の施設として現在も活用されている。 映像は主に医学部東側か南東側から映したものである。当初に登場する褐色の建物は当時、生化学教室として使用されていた建物である。1932(昭和7)年の建築で現在も医学資料室・研究棟として利用されている。この建物右端に見える三角屋根の小さな建物は、正門横にある門衛所である。1922(大正11)年の木造建築でこれも現存している。また敷地を囲む石造りの塀も、築造年は不明ながら戦前からのものである。この他、現在は医学部校友会サークル共同施設になっている旧岡山医科大学附属図書館、今はない耳鼻科棟と思われる建物も映像として残されている。 後半のショットでは旧岡山医科大学から市街地を遠望する映像が繰り返し流されており、レポートでは「Girl's Hight School」「Electric Power Plant」「 Okayama Nippon Electric Company building」などの焼け跡として示されている映像もある。このうち女子高等学校と訳すことができる学校は当時の岡山県第一岡山高等女学校跡地を指す。現在の岡山県立岡山操山高等学校の前身である。同校は1939(昭和14)年3月まで岡山市大供の現在の市役所近辺に所在していた。二番目に示された施設は軌道会社発電所、1915(大正4)年に建設され、初期は1500戸に電力が供給された。岡山日本電気株式会社は遠方黒色の太い煙突と壊れた蒲鉾状の屋根を持つ建物を示すがこれは後述する。 また6階建ての大きな鉄筋コンクリート建物は天満屋で、天満屋右横には旧日赤病院、黒色になっている日本銀行岡山支店などもみることができる。 |