中島歴史散歩


時は流れ絶え間なく進化する、そんな中過去の歴史を見返り歴史散歩



中島城

  中島地名の由来

 古代の旭川は、竜の口あたりから二つに分離し、東は操山方面、西は竹田、原尾島方面に蛇行しながら流れ、児島湖に流れ込んでいました。
 丁度東西の中程に位置していた中島地区は、中洲の位置に当り、これが中の洲から、中島に変化し地名として呼ばれる様になったのではないかと考えます。

 

                                                


写真・映像リスト

昭和初期の公会堂 沢田磨崖仏 後楽園用水、ホタルの里 朝間宮 備前八幡宮 若宮様

昭和初期の公会堂

 沢田磨崖仏 後楽園用水、ホタルの里 

朝間宮

 備前八幡宮  若宮様




参考文献


宇野学区史刊行会/編『宇野地区の歴史』宇野学区史刊行会(1981)
林 泉/著『岡山の歴史と伝説を訪ねて』日本文教出版(1988)
百間川研究会/編『百間川沿川における昭和9年9月室戸台風災害の記録』国土交通省中国地方整備局岡山河川事務所 (2007)
佐藤光範/著『古代祭祀跡吉備の「磐座」』「磐座」「盃状穴」研究会(1992)

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