昭和初期の建物(中島公会堂)
地元中島に何代も続き生活されている方にお聞きしました。
「昭和9年9月21日(1934年)室戸台風が高知県室戸に上陸。
岡山県そして岡山市中心街も大きな被害が出ました。
旭川水系(百間川)を含む15ヵ所が決壊し、中島地区も決壊寸前にまでなり、危険にさらされました。
地区民が見守る中、 河上から多量の瓦礫等がこの地区に流れ着き、住人の方が
その材木を引き上げ、かなりの量を、 集めたそうです。
翌年、昭和10年、県からその流木を払い下げを受け、その資材を基にしてこの公会堂を建築しました。」
(中島在住 横山氏 談)
平成10年頃の様子では、堂内はかなり古さを感じました。
一階は、土間で湿気た、土の匂いが感じられます。
町内の清掃用農具、またお祀り用の「だんじり」竿竹、提灯、等道具が山積みで
かき分けるようにして急な階段を登ると、2階となります。2階は板の間で、少しの隙間から一階が覗けます。
八畳位の室に、じゅうたん、そして長テ−ブルが置かれていて、そこで、諸々の相談、会議がおこなわれていました。
平成16年都市計画道のため、取り壊しとなり、その姿を今は見る事が出来ません。
現在は道路都市計画のため、かなり様子が変わり、何処に建物があったか、見当もつきません。
平成24年8月、工事進行中で新橋も建設中です。
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