リストマーク  高瀬舟と大名行列 − 4
リストマーク 題名 高瀬舟と大名行列 4
リストマーク 文章 田仲満雄(新見市文化財保護審議会副会長)
三、高瀬舟と物資の輸送

写真15 (行列諸費) 井上家文書 ア−10−014

 井上家文書によると、享和元(1801)年の行列では殿様を入れて73人が14艘の高瀬舟に分かれて乗船し、新見から総社の湛井まで銀1,883貫目を支払っている。高瀬舟1艘あたり平均で134貫目半になる。この年は、湛井からは、山陽道を上っていったようである。1日につき、人足43人・馬13疋・馬子13人が必要である。したがって、湛井までは、73人、湛井からは126人の行列になる。
 高瀬舟賃銀1883貫目は、金に換算すると32両程になる。現在のお金では188万円ぐらいだろうか。人足賃は1日1人分が平均23文、馬(馬子を含めて)は1日1疋平均50文ぐらい掛かる(金1両=銀60匁=銭4000文)。湛井から江戸まで20から25日かかる。実際に支払われた総額はいくらになるのか計算してみてほしい。諸国の大名達は、参勤交代のために莫大な出費を強いられていたのである。新見藩の負担は、12から13万両であったのではないだろうか。これは片道分である。
 さて、「物資の輸送」に目を移そう。
 松山藩は、その成立時には既に松山から井高迄の舟路を確保しており、備中北部産の鉄を松山へ輸送させていたことが知られている(『新見市史通史編上巻』平成5年刊)。
 松山藩主池田長常は、寛永16(1639)年には問屋株を公認し、松山へ移送された鉄からの収入確保に力を入れていた。また、井高の舟は松山まで運航し、松山舟に積み替えて下らせていた。いわゆる「継船」であった。次の藩主水谷勝隆は、この「継船」を成文化して利益の独占をはかり、さらに、正保2(1645)年から翌年にかけて正田村の川之瀬まで、承応元(1652)年には三日市まで舟路を開通させた。これらの工事の成功は、川之瀬の近藤治左エ門の助力抜きには考えられない。以後、年2回春と秋に川掘りを行い、洪水後には、臨時川掘りがあった。
 元禄10(1697)年に新見藩成立、翌年初代藩主関長治入部。
 元禄11年には、松山の船差役の紙屋伝兵衛と新見の町年寄源兵衛・同伊右衛門・同所庄屋太左右衛門の間において「松山高瀬船法之次第並新見ヨリ直通両御公儀江取次替證文」(井上家文書 ア−01−001)が取り交わされた。この内容の主な点は次のようになっている。

 1)領主の御手船は、直通してよい。領主の御荷物でも村船に載せている場合は、松山にて松山舟に積み替えのこと
 2)大蔵様御上下の時分は、御手船・村船も直通してもよい。もちろん船印をつけること。
 3)売荷物の積みあわせは継船で通すこと。

2)の項が大名行列は直通で良いということになる。
写真16 写真17
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写真24
写真16〜24 (松山直通之節御證文扣) 井上家文書 ア−01−001

 これは元禄11(1698)年2月の取り決めである。この約束ごとは、江戸時代を通じて「古格」として効力を持ち続ける。早く言えば、大名行列・大名の荷物は直通、一般の売り荷は継船でということになる。
 井高より上流でも、同じ事が言える。新見の船は継船で、松山領の川之瀬や法曾の船は直通で下ることが出来た。新見藩が成立する前からの舟路における既得権を有していたことに他ならない。これも「古格」である。
 こうした「古格」に対抗して生まれたのが「番船制」である。井高より上流において松山船を排除して新見船のみによる運航をもくろんだものである。新見領内の船に番号をつけ、これらの船のみを運航させるというものであったが、この制度はあまり長続きしなかった。この「番船制」は、宝暦4(1754)年に船指役甚兵衛及び町年寄内田屋吉右衛門宛に出された御定である(写真25・26)。

写真25 (番船規定 その1) 井上家文書 ア−10−003
写真26 (番船規定 その2)

 加登屋甚兵衛が船指役に任命されたのは宝暦4年のことである(写真8)。井上家文書にはそれ以前のものは含まれていない。宝暦4年以後、江戸の終わりまでの間の高瀬舟に関する文書は数百点にのぼる。

 平成18(2006)年10月26日になって聞いた話だが、新見の殿様は代々にわたって新見八幡神社へ文書類を奉納する習わしになっていたそうである。
 その中には、奉書紙に書かれた大名行列表などもあったそうである。昭和13(1938)年の新見の大火によって、藩の古文書類は船川八幡神社とともに焼失してしまったとのことである。残念でならない。
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リストマーク 参考情報 この文章は、田仲満雄氏が「備北民報」に平成18(2006)年11月7日付けで寄稿した文章をもとに作成したものである。
リストマーク 参考文献 『新見市史通史編上巻』平成5年刊
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