井原線の概要
井原線建設の経緯・沿革
昭和41年7月、旧国鉄の新線建設構想によって工事に着手し、路盤工事を約5割仕上げたところで、国鉄再建計画に基き昭和55年建設予算が凍結、工事は中止された。
しかし広島県備後地域と岡山県南西部地域との都市間輸送路線として、また沿線地域の産業・経済・観光等の振興に重要な役割が期待されるとして、昭和61年12月に民間および関係団体の協力により井原鉄道会社が設立された。
そして鉄道建設公団によって工事が行われ、平成11年1月11日に開業した。
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井原線のハイライト
平成11年1月11日という、比較的最近開通した井原線には、興味ある鉄道技術が全線いたるところにちりばめられている。
中でもハイライトは、急勾配、急カーブ、高梁川橋梁、ロングレールであろう。しかも清音駅と川辺宿駅間でそのすべてに出会うことができ、標識や乗り心地を探訪できる。
清音駅を出発した列車の運転台の横に陣取った。ディーゼルエンジンの音をひと際高めて加速し、時速90qに到達するころ、線路左側に上下を白と黒に塗り分けた標識を見つけた。左上に向けてそれに取り付けられた平板に大きく33,0と表記がある。勾配標だ。これから井原線第一の急勾配で高梁川堤防の上まで上るのだ。
鉄道の勾配は‰(パーミル)といい、1000m行って上る高さを表す。この33パーミルは中国地方の鉄道で最高の勾配だ。山陽本線の瀬野・八本松間でかつて蒸気機関車が三重連で牽引した難所でさえも25パーミルである。
やがて高梁川橋梁に向かって大きく右へのカーブが迫ってきた。再び線路左側に見えて来る小ぶりの標識には、400とある。ぐんぐん右に回りながら堤防に向かう。
鉄道のカーブの度合いは、その部分を円の一部とみなした時の半径で表わし、曲率半径と呼ぶ。数字の小さい方が急カーブである。ここの曲率半径400mは井原線の中で最小の数字だ。
急カーブで堤防に達した時、カーブしたまま橋梁にかかり最後まで渡りきる。普通鉄橋は川に直角に架けるのだが、ここは全国でも珍しいカーブ橋梁である。平成5年度の土木学会技術賞奨励賞に選定されている。
橋上では車輪がレールのつなぎ目を通過する時のガタンガタンという走行音がしていない。この橋の上では新幹線並みのロングレールで、橋の全長716mの間全くつなぎ目がない。
渡りきった列車は再びリズミカルな走行音を響かせて、黄金色に広がる稲田を左右に割って川辺宿駅に到着した。
美術館や車輌基地、などを満喫しての帰路にも、夕方の上り列車の先頭に立った。
高梁川橋梁は、夕日を受けて鈍く黒褐色に光っている。高梁川では、一輌列車の短い影が、中州に点在する緑と水面に映る空の青さを揺らせてゆっくりと動く。
渡り終えた列車は、大きく左カーブして清音駅へとすべりこんだ。
平成22年には累計乗車人員が1200万人を超え、井原線は住民の足として定着した。将来の運転手候補らしい職場体験中の高校生が、若い井原線を象徴しているようだった。
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