夢二遊歩道  -- 夢二の原風景を探してみませんか --
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2 はじめに
3 夢二ふるさと遊歩道
大看板
4 夢二生家
5 お大師堂
6 正富汪洋記念碑
・国司丘
7 散歩道から後方の
お大師堂を見る
8 夢二のお墓
9 天保地蔵
10 静円寺本堂を中心
とした景観
11 静円寺多宝塔
12 古武弥四郎博士
の生家
13 旧明徳小学校
14 古武弥四郎博士の
記念碑
15 宵待草の詩碑
16 常夜灯
17 高星神社
18 少年山荘


正富汪洋〔まさとみおうよう〕記念碑


国司丘〔くにしがおか〕
 国司丘は、夢二生家の裏(東側)に位置し、夢二が3歳年上の詩人正富汪洋等と子供のころよく遊んだところです。夢二が度々描いた椿の木や詩の舞台と なったところです。
 「豆の畑で、みいさんとふたりでかくれて待っていた。遠くで鬼の呼ぶ声が風のまにまにするけれど、ちらちら飛ぶは鳥の影。待てど暮らせど鬼は 来ず、森の上から月が出た。」  地元では、通称「国司様」と呼び、「福の神」を祭っており、毎年1月と9月 には、祭礼を行い、地元安楽院による祈願の後、もち投げを行っています。
 国司丘で夢二と遊んだ正富汪洋は、夢二より3歳年上で、本名を由太郎といいます。汪洋は、20歳で上京し哲学館に入 学、明治の詩歌壇、日本近代史を飾り、詩業一筋に生き、昭和24(1949)年には日本詩人クラブ理事長をつとめました。
 与謝野鉄幹夫人の先妻(滝野)と結婚(同情結婚)、 この記念碑(石碑)の詩は、あまりにも有名です。

「柿の実に柿の実の味 りんごの実にりんごの実の味
割られても切られても失われない味
ののしられ蹴られ、殺されても傷つけられない味
 すぐれた人のすぐれた味」

 記念碑に刻まれた詩より汪洋の哲人的風格がうかがわれます。

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♪BGM:「宵待草」
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〔岡山県立図書館メディア工房〕