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正富汪洋〔まさとみおうよう〕記念碑
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国司丘〔くにしがおか〕 |
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国司丘は、夢二生家の裏(東側)に位置し、夢二が3歳年上の詩人正富汪洋等と子供のころよく遊んだところです。夢二が度々描いた椿の木や詩の舞台と
なったところです。
「豆の畑で、みいさんとふたりでかくれて待っていた。遠くで鬼の呼ぶ声が風のまにまにするけれど、ちらちら飛ぶは鳥の影。待てど暮らせど鬼は 来ず、森の上から月が出た。」
地元では、通称「国司様」と呼び、「福の神」を祭っており、毎年1月と9月 には、祭礼を行い、地元安楽院による祈願の後、もち投げを行っています。
国司丘で夢二と遊んだ正富汪洋は、夢二より3歳年上で、本名を由太郎といいます。汪洋は、20歳で上京し哲学館に入
学、明治の詩歌壇、日本近代史を飾り、詩業一筋に生き、昭和24(1949)年には日本詩人クラブ理事長をつとめました。
与謝野鉄幹夫人の先妻(滝野)と結婚(同情結婚)、 この記念碑(石碑)の詩は、あまりにも有名です。
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「柿の実に柿の実の味 りんごの実にりんごの実の味
割られても切られても失われない味
ののしられ蹴られ、殺されても傷つけられない味
すぐれた人のすぐれた味」
記念碑に刻まれた詩より汪洋の哲人的風格がうかがわれます。 |
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♪BGM:「宵待草」 |
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